私の人生

高校を卒業後、二つの会社を経験し、 その後、あの有名なダスキン加盟店に入社して16年間働きました。 この会社とのご縁があり私の人生が変わったのです。 たまたま、高校の先輩が課長でおられ(最後は九州支店長に)この方のおかげで、 営業力がみるみるうちに付き成長して行きました。 この方は、高校の後輩・糸島の人間ということで目をかけてもらい「モッチャン」と 声をかけて頂いたことで、自分が変わっていきました。 まさに、親・先生から褒められることと同じではないかと思います。 なぜか、成績と共に、短期間で自分が変わっているのが判るのです。 自分が営業に向いていたこともあったと思いますが・・・ それに気づかせて頂き声をかけて頂いたお陰と思います。 福岡地区・県・九州でナンバーワンになり、全国的にも「九州には持田がいる」 とまで言われるようになり、アメリカ・香港マカオ・オーストラリアなど招待で行かせて もらいました・・・ 又、人から人の噂のすごさには驚きました。 自分が自慢して言ったわけでもないのに、みるみるうちに、 知り合いとかお客様や同級生に営業の実績が広がってたのです。 営業もやりやすくなり、営業マンとして実績も挙げ、部下を20人持つようになりました。 しかし、今度は中間管理職の悩みが出てきて、 <営業と人を使うことは全然違う>ことの苦しみに陥りました。 そのことに悩み苦しんで、鬱(ウツ)になり・・・従業員をなぐり・・訴えられる寸前までに・・・ そのようなことが続き、まさか33歳の若さで癌に・・・ その当時「癌」は死を意味することでした。 今は、医学が進み、手術はもちろん・抗がん剤・放射線など治療ができるようになり 「癌」と病院から宣告を受けます。 しかし、その当時は一切、告知してくれません。 だいたい、家族や先生の顔をみればどんな状態かわかります。 手術から5年後、妻とか母親から、その当時の癌の状況を聞いて分かったことですが、 3年位前から出来ていた癌だそうでした。 だから、運良く私は助かったと言うわけです。 家族にも心配をかけました。この時、二人の子供がまだ小学生低学年でしたし、 死ぬかもしれない」と言う恐怖と「絶対に死ねない」と言う強い思いの中で、 人生観がすっかり変わりました。 ・・・・・前編はここまで